令和2年8月

光に向かって這っていけ
~核なき世界を追い求めて~


『光に向かって這っていけ』 

 「1945年8月6日、広島に原爆が投下された時、サーロ節子さんは学徒動員された軍の建物にいました。すさまじい閃光、爆風で吹き飛ばされ一瞬で建物の下敷きになりました。瓦礫の下の暗闇で意識を失い、気づいた時には梁に阻まれ動けなくなり死を覚悟しました。その時、見知らぬ兵士が「あきらめるな! 左のほうに光が見えるだろう。そちらに向かって這って出るんだ」と声をかけてくれました。その言業に励まされながら、懸命に外に這いだし生き延びることができました。すでに背後には猛火が迫り、ほとんどの級友は建物の下で焼死、兵士の消息も不明です。
戦後、サーロ節子さんは留学しカナダの大学院でソーシャルワークを学びました。スクールソーシャルワーカーとして働きながら、被爆体験を語り核兵器の廃絶を訴えて国際的な反核運動を担って来ました。2017年、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞受賞や核兵器禁止条約の成立に大きな貢献をしました。ICANのノーベル平和賞授賞式では、被爆者として「( 核兵器の)終わりの始まりにしよう! 」と演説しました。核兵器禁止条約は50カ国の批准で効力が出ます。残念ながら、日本は被爆国でありながら批准していません。今後、批准する国を増やしていくことが大きな課題です。現在(2020年3月20日)、36カ国が批准しています。核なき世界を追い求める「光」が見えています。私たちは、サーロ節子さんに声をかけた兵士から「あきめるな! 」と励まされています。
(社会福祉学部教授 黒岩晴子)

「感謝の日暮らし」 
(画:別科修了生 菊田水月)
「今日モアリ オホケナクモ」
柳宗悦『心偶』より
「オホケナクモ」とは、「もったいなくも」、「かたじけなくも」という意味です。
冊の中はどんどん血乎かになっていますが、人の心はなかなか満たされません。欲望は人の心を貧しくしてしまいます。
「もったいなくも」、「かたじけなくも」、そのような謙虚な心で感謝の日暮らしができる人こそ、本当の慈味での豊かさを手にすることができるのではないでしょうか。欲望を瀾たすことで人は幸せにはなれません。感謝で心を満たせる人が幸せなのだと思います。
菊田水月

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