令和3年10月
かりそめの 色のゆかりの恋にだに
あふには身をも をしみやはする
法然上人『勅修御伝』
この御歌を単純に解釈すれば、「虚構ともいえる男女の色恋でさえ、わが身を捨てて没頭することもあるだろう」という意味になる。しかしそれではこの歌の真意は伝わらない。「法然上人行状絵図』には「逢仏法捨身命といへることを」という、この歌の題名が添えられている。つまり法然上人は、仏法との出遭いの限りなき諄さを、男女の色恋に喩えて人々に伝えようとされたのである。上人の御歌の中で色恋に言及した内容は稀だといわれるが、仏法のありがたさを凡人に諭すには、色恋を喩えにすることがもっとも効果的だとのお考えがあったのだろう。法然上人は、生涯戒律をきわめて厳正に守られたと伝わるが、人々の性愛への特別な執着心についてもきちんと理解されていたという証だと思う。「身命を捨てる」とは、実際に命を絶つことではなく、仏道に心身すべてを捧げる意と解すべきであろう。
私たちのような凡夫にとって、確かに色恋には魅了されがちではあるが、それを遥かに凌ぐような、人の道としての仏道の世界があるのだということを、改めて教えられた。
(歴史学部教授 八木透)
「聞名得益偈」
(画:別科修了生 菊田水月)(製作協力:京都教区浄土宗青年会)
聞名得益偈
其仏本願力 其の仏の本願力、
聞名欲往生 名を聞きて往生せんと欲すれば、
皆悉到彼国 皆悉く彼国に到って、
自致不退転 自ずから不退転に致る。
【この偈文は「浄土三部経」の「無量寿経」下巻の「東方往覲偈」の中にあります。阿弥陀仏の本願力は、その名号を聞いて往生したいと願う人を一人も漏らさないで、みな彼の浄土に迎えて、不退転の位に導かれるのであります。よってこの偈文は一般の霊位に対する回向文として読まれます。】
(解説 宗門後継者養成道場長 稲岡 誓純)