令和3年9月

池の水 人の心に似たりけり  濁り澄むこと定めなければ

法然上人『勅修御伝』 

この歌は、法然上人が私たちの心について詠まれたものです。私たちの心は、池の水に似ていて、濁ったり澄んだりと落ち着かない様子であることを言い表しています。また別のご法語では「人の心は猿が枝から枝へと伝っていくように、落ち着きのないものである」とも仰っています。
私たち普通の人間の心は、揺れ動く、思いが乱れることが当たり前であるということです。三日坊主という言葉に代表されるように、自身に課したことを頑張ろうとするけれども、長続きは難しい。心変わりをするということはよくあることです。雨の日が続くと、晴れれば良いと思います。晴れの日が続くと、たまには雨が降れば良いと思うようにわがままです。揺れ動くのです。私たちは自分の心すら思い通りにすることができません。
そのような私たちはどのようにすればよいのでしょうか。自分を知り、揺れ動くこと、できないことを受け入れて、対処法を考えていくことが大切です。自分を見つめ、向き合っていく、この態度こそ「還愚げんぐ 」です。
(教育学部教授 佐藤 和順)

「本誓偈」
(画:別科修了生 菊田水月)(製作協力:京都教区浄土宗青年会)

  本誓偈ほんぜいげ
弥陀本誓願みだほんぜいがん     弥陀みだ本誓願ほんぜいがんは、
極楽之要門ごくらくしようもん    極楽ごくらく要門ようもんなり。
定散等回向じょうさんとうえこう   定散等じょうさんひとしく回向えこうして、
速証無生身そくしょうむしょうしん  すみやかに無生身むしょうしんしょうせん。
【この本誓偈ほんぜいげ善導大師ぜんどうだいし『観無量寿経疏』かんむりょうじゅきょうのしょ「十四経偈」じゅうしきょうげにあります。阿弥陀仏あみだぶつがすべての人を救うために説かれた誓願せいがん( 四十八願しじゅうはちがん中の第十八願じゅうはちがんである念仏往生願)ねんぶつおうじょうのがん極楽往生ごくらくおうじょうへの肝要な教えです。定善じょうぜん(心を静めておさめる)や散善さんぜん(心が散り乱れたまま)の行をおさめ、それらの功徳くどく極楽往生ごくらくおうじょうへと振り向けて、すみやかにさとりのとなるように努力どりょくしましょう。】
(解説  宗門後継者養成道場長 稲岡 誓純)

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