令和元年8月
名号を称うれば 三心自おのずから具足するなり
つねに仰せられける御詞
「三心 」とは、南無阿弥陀仏と称えるときに持つべき三つの心、「至誠心・深心・回向発願心」のことを指す。
法然上人の教えは、なんでもいいから念仏せよ、ではない。「真実の心」(至誠心)で、「深く信じ」(深心)て、「すべての功徳を極楽往生に振り向け」(回向発願心)て念仏する必要がある。
省みて私たちは、真実の心や深い信心を持つことができるのだろうか。自分の都合を優先し、場合によっては嘘をつき、黙っていてバレないならば、人を欺き傷つけることも平気である。そんな私は、三心を保って念仏することが至難の業のように思える。阿弥陀仏は、できそうにない修行を求めたのであろうか。
阿弥陀仏は、自分勝手でわがままな、心千々乱れる私たちをも救うと誓って出現した。だからほとんどの人ができそうにないことを求めるはずはない。法然上人は、そう考えた。そして、ただひたすら往生したいと思って南無阿弥陀仏と声に出して称えると、三心は自然と身につく、という結論を得た。阿弥陀仏が一切の衆生を救うと誓った、その真意を見抜いて、法然上人は私たちに教えているのである。
(仏教学部准教授 伊藤 真宏)